昭和テレビ大全集 ぢゃない

昭和のテレビに関する四方山話

「やめられない とまらない」 かっぱえびせん名コピー誕生の知られざる話 証言編(3)

萩勇氏の陳述書より

経歴について

 私は昭和8年11月5日現在満80才

 昭和29年12月 近畿広告ラジオ・テレビ制作係として入社

 昭和35年 (株)大広と社名変更される

 第一企画大阪支社制作局長に転出

 (昭和45年)現在のアサツーDIK(1部上場)

 仙台支社長、大阪支社長、本社人事、総務局長を歴任

 平成4年 TBS系富山チューリップテレビ大阪支社長として入社

 本社取締役 業務局長  平成10年 役員定年にて退職。

 

職種について

1 近畿広告・大広 制作局

 ラジオ番組の制作 ルーム長としてテレビCMの企画・演出

 テレビ番組(CX系)マンガ「ロボタン」の制作プロデューサー

 他 多数


2 第一企画(現アサツーDIK)

 

 大阪支社制作局長としてCMプロデューサー

 テレビ番組(TBS系)代理店担当プロデューサー


3 チューリップテレビ(富山本社)

 大阪支社長 営業統括、本社業務局長

 (編成部、制作部、事業部、営業部を管轄)

 

 当時、広告代理店がテレビマンガ制作をする機能なく全てアニメプロダクション(たつの子プロ他数社)が制作をしていた。

 自社で録音、撮影スタジオを所有していた大広といえども、アニメーションの制作は初めて。

 スタッフは社内、外で構成し、アニメ脚本家は東京、大阪で優秀な作家を登用した。

 下請アニメ作画プロダクションを管理、声優によるアテレコ、放送スケジュール管理、全てが緊張の連続の日々が放送終了まで続く。

 そうした作業期間、東京支社制作部 日高欽治氏が東京サイドの脚本担当。

 辻真先サザエさんの脚本)たかたかし(現・作詞家の大御所)など在京の先生方と交渉。テーマ 作品 原稿チェックなど全てに

 

 

放送業界の創生期に関わる

 民間放送(ラジオ局)が昭和26年、新聞社を母体にして全国に系列誕生する

 NTVを初めとしてテレビ局が後発 発展する

 その時代の真只中に制作マンとして従事し技術指導の先輩もなく、独自に表現技術と発想力を習得して、作品づくりに没頭した。昼夜関係なく熱中する。

 

 

日高氏との関わり

 昭和41年、大広大阪制作局に関西初のテレビマンガ「ロボタン」の制作が決定。

 提供は江崎グリコ(すでに鉄人28号などを提供済のキャリア・スポンサー)

 あのカルビーのカッパえびせん 「♪ ◯△×*1……とまらないカッパエビセン…♪」である。

 作曲は彼の知人の「×××*2氏」 扱いは東京大広で全社的に評判になったと記憶を新たにしている。

 当時の作詩・作曲の制作著作権は、契約書的な書面もなく、相互に口頭で確認し合意していたものである。

 よって、事業確認は、私たちのような当時の真実を記憶しているものによって証明できるものと思われる。

 精力的に且つ優秀な作品づくりに貢献してくれた。

 彼の誠実さと旺盛なる発想力が生んだ結果だと今でも思っている。

 それ以来50年近くの付き合いで、東・阪を熱く交流が続いている。

 

 

重要なポイント

 制作マンというクリエーターの発想は、理論構築が整うまでに、ふーッと天から降りてくるようなアイディア(フレーズや曲想など)が湧いてくる。昼夜、場所関係なく。

 当時 日高氏が語っていたのが、

 

(後略)

 

萩氏陳述書の写し

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*1:転載者注)記憶が甦らない語句表現と思われる

*2:転載者注)同上。実際は小川よしあき氏との日高欽治氏証言