昭和テレビ大全集 ぢゃない

昭和のテレビに関する四方山話

「やめられない とまらない」 かっぱえびせん名コピー誕生の知られざる話 証言編(4)

安田政利氏の証言

簡単な経歴
  • 昭和42年 株式会社大広制作部録音技術課に入社
  • 平成18年まで在籍

 

証言

 大広制作部録音技術課からラジオテレビ局、営業局と異動してラジオ・テレビ局長、営業局長を経て平成13年に上海大広の総経理として赴任、2005年に退職。大広一筋の根っからの大広マンです。

 日高さんとは7歳違いで、私が入社した時は日高さんは既にベテランのクリエイターで、入社した馬鹿Rに私なんか当然一緒に仕事することなんて叶いませんでした。

 でも、3ヶ月位経過したころ上司の関さんから、かの有名な”やめられないとまらないかっぱえびせん”を創った日高さんだと紹介されました。その時は大広には凄い人がいるんだなと正直思いました。

 

(中略)

 

 日高さんが創られたかっぱえびせんの”やめられないとまらない”の作品は、後では誰もが知る大ヒットの作品になりましたが、政策当初は15秒作品でしたし、放送回数も少なかったので売り上げには直接繋がらなかったようです。

 大広から電通に扱いが代わって露出度も増えて爆発的なヒット商品になりました。

 大広は数多くのヒットCMを制作してきましたが、このかっぱえびせんのCMは大広の中でも傑作中の傑作でそのCMは不朽の名作であり大先輩の日高さんが創ったのですから私にとっては自慢の種で、いろいろな人に話させて戴き皆が集まるとその話になったのを覚えております。

 

(中略)

 

 ここで私は真実を述べるのみです。私は在職当時からこの作品は日高さんの作品だという事実は誰よりも知っております。

 現在私も70歳を超えておりますが、他の当時の同僚達共々私が生きている限り日高ファミリーの多くの仲間を引き連れて日高さんの悔しさを、事実をお話しさせて戴きます。

 ”やめられないとまらない”かっぱえびさんのCMは大広の日高さんの作品であり大広の誇りでもあります。

(中略)

 この名クリエイターの名誉とプライドを守るためには何時でも、何処でも大広の昔の仲間が集まり証言をするのは当たり前ですし、我々は仲間を決して見捨てるようなことは致しません。これからも生きてる限り・・・・

 

平成24年8月9日 安田政利

 

 

高橋實氏の証言

平成23年8月5日記入

 小生、昭和34年に上智大学を卒業し、広告代理店(株)正路喜社に入社しましたが、翌35年夏に会社倒産閉社したため、当時(株)近畿広告から(株)大広に社名変更し、業績上昇中であった(株)大広東京支社に、同年12月、日高欽治君と同期入社し、放送制作部に配属されました。

 日高君とは同年で、現在74歳です。

 

(中略)

 

 大広は、支社支局が増えたため地方のお得意様の企画政策が増加して、小生は仙台・会津や秋田・新潟・京都・広島・大分等の仕事で飛び回っていたので、日高君と一緒に仕事をする事は無かったのですが、デスクは向かい合わせだったので、対話やお付き合いはよくありました。

 カルビーの制作作業に立ち会った事は有りませんが、日高君が「やめられないとまらない かっぱえびさん」を作詞し、小川よしあきさん作曲で保泉君、関君達とCM制作していた事は、それとなく覚えております。

 当時、小生は清酒黄桜のかっぱ(清水崑画)アニメのコマーシャルを企画制作していたので特に記憶に残っているのだと思います。

(後略)