昭和テレビ大全集 ぢゃない

昭和のテレビに関する四方山話

「やめられない とまらない」 かっぱえびせん名コピー誕生の知られざる話(3)

カルビーCM演出 保泉芳信氏の証言

 前回、大広が担当した昭和39年のかっぱえびせん15秒CMを描写しましたが、実は現在の所、フィルムは見つかっておりません。

 では何を元に再現したかと言いますと、日高さんが演出に指名した保泉芳信(ほいずみ・よしのぶ)氏が平成23年7月に作成した陳述書に添えて提出した、当時の記憶に基づく絵コンテに拠っています。

 日高さんの許可を得ましたので、その再現絵コンテ画像を掲載します。

 

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 特に2枚目の画像がかすれていて見づらいのですが、最後は障子が開いて大量のえびせんがドサッと落ちてきている図です。

 

 保泉氏は日高さんの大広での二年後輩にあたり、貴重な再現コンテの他に、陳述書で証言もされております。

 それに拠りますと、当時の大広は一人一人が担当スポンサーを持ち、自分で企画立案し、直接交渉してCMを作るという形で、それぞれが今で言うプロデューサー兼演出家だったという事です。

 当時保泉氏は白元の担当で、パラゾールやノンスメルのCMを二ヶ月に一本くらいの割合で制作していたので忙しかったのです。

 しかし、日高さんはそれ以上に忙しかったのでした。

 マルマンガスライターのCMを担当している上に、ビクターのラジオ番組を担当していたので週単位で追われていたのですが、そこへ広島からのカルビーの仕事を命じられたのでした。

 そして忙しい日高さんは、保泉氏に手伝いを頼んだのです。

 今で言えばプロデューサーが日高さんで、演出が保泉氏という形となるでしょう。

 

 通常の仕事形態と違う事も有ってか、この仕事に関しての記憶は、保泉氏の中でかなり強烈に残っているようです。

 CM完成のその日、広島からえびせん産みの親である松尾社長(当時)が上京し、銀座松屋裏の大広録音スタジオにてえびせんを食べながら、スタッフと談笑したとの事です。

 

(この稿続く)

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