昭和テレビ大全集 ぢゃない

昭和のテレビに関する四方山話

「やめられない とまらない」 かっぱえびせん名コピー誕生の知られざる話(2)

あの有名なCMソングの本当の制作者とは?

 まず話の順序として、皆さんがよく御存知のかっぱえびせんCMの話から進めたいと思います。

 世間一般に「かっぱえびせん」のCMソングが浸透したのは、電通が広告を担当し、作詞家に伊藤アキラ氏、作曲家に筒井広志氏を起用してからとなります。それは、現時点では昭和40年頃という説が有力ですが、確定ではありません。

 伊藤氏、筒井氏、どちらも或る程度テレビに関して詳しい人間であれば、よく目にする大作家さんであります。

 以後、かっぱえびせんのCMは様々な種類が制作され、時に応じて歌詞も細かい変遷を生じているわけですが、手元にある譜面の型では、昭和47年アストロミュージックの著作権が記されています。

 

 様々な種類が制作されたと書きましたが、やはり肝の言葉は「やめられないとまらない」であり、その部分の音楽という事になります。

 実はワタクシも日高さんに新たに頂いた資料とお話で驚いたのですが、「やめられないとまらない」という言葉は日高さんが考案した言葉なのですが、音楽の方も、原作者がいらっしゃるという話だったのでした。

 筒井氏は大変残念な事に既にお亡くなりのようですが、伊藤アキラ氏には日高さんが確認が取れ、確かに自分が作詞をする前に元になるものは有ったと認めて下さったとの事です。伊藤氏は他人の業績を横取りなどせずとも、堂々たる実績を数限りなくお持ちの方ですので、当然の態度でしたでしょう。

 

 さて、その大元となるCMですが、それは昭和39年に、日高さんが当時在籍していた大広が請け負った仕事でした。

 カルビーは元々が広島の会社で、そのため広島大広にCM制作を依頼し、それを大広東京支社の日高さんが担当したという流れです。

 請け負ったのは15秒CMで、日高さんは広島から送られてきた当時まだ無名のかっぱえびせんを囓りながらコンテを考えていました。

 なかなか良い考えが浮かばずに、一袋、また一袋とえびせんが空いていく。こりゃやめらえないなー、止まらないなーと思っているうちに、これだ!となったのでした。

 出来上がったCMは、まず画面右上方から手が伸び、次に左上方から手が伸びを繰り返し、「思わず手が出る 手が出る 手が出る」という歌に続いてえびせんの袋が映ります。

 そして障子が両開きに開くと、大量のえびせんの袋がドサーッと落ちてきて、最後に「カルビー!」と叫びが入って終わりました。

 このCMで流されていた音楽、CMソングこそが、伊藤氏・筒井氏作の30秒版の元となった、本家本元のものでした。

 作詞は、今で言えばプロデューサーである日高氏のものがそのまま採用され、作曲は、日高氏とは旧知の間柄である小川よしあき氏が担当したものでした。

 日高欽治作詞、小川よしあき作曲による15秒CMソングは、次のようなものです。

 やめられない とまらない かっぱえびせん

 手が出る 手が出る

 やめられない とまらない かっぱえびせん

 

 小川よしあき氏も昭和のテレビ史に名を刻む作曲家であり、『岸辺のアルバム』『沿線地図』等のTBS金曜ドラマ枠で音楽を担当したりの実績がございます。

 日高さんのお話では、小川氏は日高さんと同じ日本大学芸術学部出身で、技術コースからNHKの写譜の仕事などをされていたとの事。

 音楽畑の出ではありませんが独学で音楽を身に付けられたようで、件の伊藤アキラ氏との作品も残されています。一時は荒木とよひさ氏と伝書鳩というグループを組んでいた形跡も有ります。

 そして日高さんは、自身で練り上げたコピーへの作曲を、旧知の小川氏に依頼されて、あの我々がよく知るメロディーが出来上がったのでした。

 ♪ やめられない とまらない かっぱえびせん

 

(この稿続く)