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昭和テレビ大全集 ぢゃない

昭和のテレビに関する四方山話

「やめられない とまらない」 かっぱえびせん名コピー誕生の知られざる話(番外1) カルビーの見解について

 この稿も4まで書きましたところで、ワタクシは一方的な書き物に些かの懸念も有ったので、カルビーに対して質問書を送りました。

 日付は4月18日で、一ヶ月程度の猶予を設け、当方の質問への回答と意見を求め、返信が無い場合はその旨を書かせて戴きますという内容でした。

 質問は以下の4点でした。

 

  1.  貴社としましては、昭和39年に大広が宣伝を担当したという認識なり記録、伝承はお有りでしょうか。
  2.  日高様が名乗られて後、貴社は度々件の惹句や歌の発祥に関して独自の見解描写を各媒体でされていらっしゃいますが(例:日本テレビDON等)、それは貴社内、電通、アストロミュージック等の関係各社に聞き取り等を行っての事だったのでしょうか。
     件の惹句発祥に関する、何か貴社なりの確たる見解をお持ちなのでしょうか。
  3.  当方で上記記事を書くような事につきましての、ご意見等がございましたら伺いたいです。
  4.  このやりとりを上記サイトにて公開する事に異議はございませんでしょうか。ございます場合は、公開用のご意見を伺えればと思います。およそ一ヶ月程度の様子を見まして、何も返信がございません場合は、この文面をそのまま公開し、返信が無かった旨を公開させて戴きます。返信は末尾に御座いますメールアドレス宛でも結構でございます。

 

 「上記記事」というのは、当ブログと、本家の私的昭和テレビ大全集に於けるカルビーかっぱえびせんの稿の事です。

かっぱえびせん (1964) - 私的 昭和テレビ大全集

 メールアドレスは末尾に記載した他に、ブログURLとQRコード、本名、住所、電話番号、メールアドレスを記載した名刺も同封しました。

 日高さんにはカルビー宛に送付後に内容をPDFで送り、了解を取り付けています。

 

 該当部署がよくわからなかったので、もしかしたら違う部署に送ってしまったのかもしれません。

 ワタクシは底辺労働に従事する学の無い人間ですから、大企業様の理解する書式から多少は外れた内容が、何か有ったかもしれません。

 その場合はその旨を、また、返信する必要を認めない場合もその旨を、知らせてくれるのがワタクシの中での大企業の常識でした。

 ですがカルビーは、完全に無視しました。勿論、記録郵便で送っておりますし記録は残っております。

 

 実は日高さん側がワタクシに見せて下さった資料の中には、カルビー側の木で鼻を括ったような応対が見て取れ、それに対してこれまで紹介しましたような日高さん側の証言者の人が、憤怒の姿勢を見せてもいるのです。

 ワタクシはそのような部分を相手側の言い分も無しに公開するのはためらわれましたので、先に言い分を伺おうとしたのですが、結果としましては、ワタクシまで非常に不愉快な応対をされました。

 返信する気は無いなら無いと回答するだけでも整うと思いますし、通常、社会的にはそのような最低限の応対はするものでしょう。

 これが朝日新聞相手だったら、間違い無くカルビーは完全無視などせず、何も申し上げる事は有りませんくらいの回答は必ずするはずです。

 要するに相手を、ワタクシを見下しているのだと判断します。

 

 事ここに至りまして、カルビー側の世間的心証を悪くしかねない日高さん側とのやり取りも、ワタクシは公開しようかと考えています。

 日高さんは、カルビーには恩も有るし、今後の事も有るからと、そうした行動には否定的です。

 ワタクシとしましては、日高さんと少し相談しながらとはなりますが、そのような姿勢でこれから行くしか無いと思っております。

 

 これはワタクシ一人の推測なのですが、恐らくカルビーは、電通を慮っているのでしょう。

 大広は、実際に手掛けていたとしても半年かそこら。

 対して電通は数十年ですし、実際に売り上げが激増したのも電通となってからです。

 その電通の成果の根本を横取りされては申し訳無いくらいの感覚なのかもしれません。

 それならそれで、内々にでも認めてくれれば間違い無く日高さんは納得していたはずですし、実際に両者が話し合っていた当初はそのような社内報次元での話で、日高さんはそれを大層喜んでいたのです。

 その時点では、日高さんは著作権云々など全く眼中に無く、あくまでも発案者として認めて欲しいというだけの話だったのです。

 この辺は、後で証言も掲載していきたいと思います。

 

 ですが事ここに至り、ワタクシは日高さんに、もう著作権で争った方が早いかもしれませんねと申しました。

 カルビーは、実力が有る存在しか顧みないのだろうと思います。

 初代社長の頃はそうではなかったのでしょうが、現在はかなり異質な機構改革が進んでいるように、BSフジの番組でやっておりました。

 売り上げは激増したのでしょうが、構造的には従来の日本企業の形とはかなり異なり、良く言えば非常に先進的になっています。

 ですからワタクシの質問書も、きちんと検討されてはいないのでしょう。

 

 ともかく、日高さんもワタクシの言葉が契機というわけではなく、以前から検討してらしたようで、著作隣接権であたってみるようなお話が出て来ました。

 部外者のワタクシも、日高さんたちも、誰一人望んでいなかった法的な争いになっていくかもしれません。

 ここでも、日高さんの許可を取りながら、経緯をお知らせしていきたいと思います。

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「やめられない とまらない」 かっぱえびせん名コピー誕生の知られざる話(4)

カルビーCM録音 関安三郎氏の証言

  件の昭和39年大広制作カルビーかっぱえびせんCMで録音を担当した関安三郎(せき・やすさぶろう)氏の証言を、やはり陳述書から拾ってみます。

 関氏は大広東京支社放送制作部の音響に易する仕事を、先輩の柳本賢一氏と共に担当していました。

 内容は、CM録音の一切、スタジオ管理、外部録音スタジオの折衝など、いわゆる音に関する全てを請け負っておりました。

 昭和38年10月に関氏が入社した頃、大広東京支社は銀座七丁目に有り、録音スタジオが銀座三丁目松屋裏に有りました。

 社屋は手狭で個人の机も置いて貰えず、別館の録音スタジオがその役割みたいなもので、大広の社員になれたと誇れるものではなかったという事です。

 それが翌年の2月乃至3月頃、有楽町ニュートーキョー裏にラクチョウビルというのができ、東京支社がそこに移転となったため放送制作部も広くなり、自分の机を与えられた喜びを関氏は記憶しています。

 

 移転後しばらくして、日高さんがかっぱえびせんの絵コンテを持ってきました。絵コンテを見た関氏は、「なんだ、変なコピー」と反応してしまったと言います。

 当時のCMは、映像をナレーションで解説する手法が多かったので、「手がでる 手がでる かっぱえびせん やめられない とまらない かっぱえびせん」と書いてあったのをナレーションとして読んだために、そのような感想となったのでした。

 しかし日高さんが制作したCMは、当時NHKで写譜のアルバイトをしていた、友人である小川よしあき氏に作曲してもらったCMソングによるものでした。

 小川氏が指揮を執って音楽を鳴らした時、関氏は改めて、目から鱗が落ちる思いとなりました。

 それが、その後もカルビーのCMで使われた「やめられない とまらない かっぱえびせん」の旋律であったと関氏は回想しています。

 

 関氏の回想でも、そのCMは半年程だったとなっています。そして、その後は電通が担当したというのも同じなのですが、関氏は音響担当だからか、その時の電通のCMでも「♪ やめられない とまらない かっぱえびせん」の部分だけは引き続き使われていたのを記憶しています。

 ただ、その当時はCMソングの権利意識など無いに等しく、制作に費用を出したスポンサーの物という考えだったようです。

 実際には、三木鶏郎氏やいずみたく氏など、それ以前からCMソングの音盤を出しているような人もいたのですが、そういう権利意識はCM制作全体に有ったものではなかったのでしょう。

 そういうごく一部の例外を除き、CM音楽にCM以外での使い道など考えていなかったのは事実だと思いますし、故に作家意識なども希薄だった事も確かでしょう。

 今であれば、いくら肝のコピー・音楽であっても当人たちの許可なく流用するなどは考えられませんが、当時はそういう意識ではなく、日高さん達もそこを格別に問題視しているわけではありません。

 

(この稿続く)

 

小川よしあき氏作品

CMソング

  • AGFコーヒー(シルビア・クリステル)
  • 加ト吉(♪ 加ト吉っちゃん加ト吉っちゃん)
  • ハウスジャワカレー
  • カシオ計算機 デジタルはカシオ(山口百恵
  • 花王リーゼ(ピーカブー)
  • ハウスククレカレー
  • ハウスシャービック
  • 高島屋百貨店(サーカス)
  • サクラ印ハチミツ

 

CM音楽

 トヨタ、日産、スズキ、資生堂花王、ポーラ、カネボウ

 ネスレ、AGF、明星、サンヨー食品ナビスコリッツ、

 ケンタッキーフライドチキン日本ハム東芝、日立、

 東京ガス理想科学住友銀行、全国信用金庫

 その他2000曲以上

 

ドラマ

 等々数十本

「やめられない とまらない」 かっぱえびせん名コピー誕生の知られざる話(3)

カルビーCM演出 保泉芳信氏の証言

 前回、大広が担当した昭和39年のかっぱえびせん15秒CMを描写しましたが、実は現在の所、フィルムは見つかっておりません。

 では何を元に再現したかと言いますと、日高さんが演出に指名した保泉芳信(ほいずみ・よしのぶ)氏が平成23年7月に作成した陳述書に添えて提出した、当時の記憶に基づく絵コンテに拠っています。

 日高さんの許可を得ましたので、その再現絵コンテ画像を掲載します。

 

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 特に2枚目の画像がかすれていて見づらいのですが、最後は障子が開いて大量のえびせんがドサッと落ちてきている図です。

 

 保泉氏は日高さんの大広での二年後輩にあたり、貴重な再現コンテの他に、陳述書で証言もされております。

 それに拠りますと、当時の大広は一人一人が担当スポンサーを持ち、自分で企画立案し、直接交渉してCMを作るという形で、それぞれが今で言うプロデューサー兼演出家だったという事です。

 当時保泉氏は白元の担当で、パラゾールやノンスメルのCMを二ヶ月に一本くらいの割合で制作していたので忙しかったのです。

 しかし、日高さんはそれ以上に忙しかったのでした。

 マルマンガスライターのCMを担当している上に、ビクターのラジオ番組を担当していたので週単位で追われていたのですが、そこへ広島からのカルビーの仕事を命じられたのでした。

 そして忙しい日高さんは、保泉氏に手伝いを頼んだのです。

 今で言えばプロデューサーが日高さんで、演出が保泉氏という形となるでしょう。

 

 通常の仕事形態と違う事も有ってか、この仕事に関しての記憶は、保泉氏の中でかなり強烈に残っているようです。

 CM完成のその日、広島からえびせん産みの親である松尾社長(当時)が上京し、銀座松屋裏の大広録音スタジオにてえびせんを食べながら、スタッフと談笑したとの事です。

 

(この稿続く)

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「やめられない とまらない」 かっぱえびせん名コピー誕生の知られざる話(2)

昭和CM

あの有名なCMソングの本当の制作者とは?

 まず話の順序として、皆さんがよく御存知のかっぱえびせんCMの話から進めたいと思います。

 世間一般に「かっぱえびせん」のCMソングが浸透したのは、電通が広告を担当し、作詞家に伊藤アキラ氏、作曲家に筒井広志氏を起用してからとなります。それは、現時点では昭和40年頃という説が有力ですが、確定ではありません。

 伊藤氏、筒井氏、どちらも或る程度テレビに関して詳しい人間であれば、よく目にする大作家さんであります。

 以後、かっぱえびせんのCMは様々な種類が制作され、時に応じて歌詞も細かい変遷を生じているわけですが、手元にある譜面の型では、昭和47年アストロミュージックの著作権が記されています。

 

 様々な種類が制作されたと書きましたが、やはり肝の言葉は「やめられないとまらない」であり、その部分の音楽という事になります。

 実はワタクシも日高さんに新たに頂いた資料とお話で驚いたのですが、「やめられないとまらない」という言葉は日高さんが考案した言葉なのですが、音楽の方も、原作者がいらっしゃるという話だったのでした。

 筒井氏は大変残念な事に既にお亡くなりのようですが、伊藤アキラ氏には日高さんが確認が取れ、確かに自分が作詞をする前に元になるものは有ったと認めて下さったとの事です。伊藤氏は他人の業績を横取りなどせずとも、堂々たる実績を数限りなくお持ちの方ですので、当然の態度でしたでしょう。

 

 さて、その大元となるCMですが、それは昭和39年に、日高さんが当時在籍していた大広が請け負った仕事でした。

 カルビーは元々が広島の会社で、そのため広島大広にCM制作を依頼し、それを大広東京支社の日高さんが担当したという流れです。

 請け負ったのは15秒CMで、日高さんは広島から送られてきた当時まだ無名のかっぱえびせんを囓りながらコンテを考えていました。

 なかなか良い考えが浮かばずに、一袋、また一袋とえびせんが空いていく。こりゃやめらえないなー、止まらないなーと思っているうちに、これだ!となったのでした。

 出来上がったCMは、まず画面右上方から手が伸び、次に左上方から手が伸びを繰り返し、「思わず手が出る 手が出る 手が出る」という歌に続いてえびせんの袋が映ります。

 そして障子が両開きに開くと、大量のえびせんの袋がドサーッと落ちてきて、最後に「カルビー!」と叫びが入って終わりました。

 このCMで流されていた音楽、CMソングこそが、伊藤氏・筒井氏作の30秒版の元となった、本家本元のものでした。

 作詞は、今で言えばプロデューサーである日高氏のものがそのまま採用され、作曲は、日高氏とは旧知の間柄である小川よしあき氏が担当したものでした。

 日高欽治作詞、小川よしあき作曲による15秒CMソングは、次のようなものです。

 やめられない とまらない かっぱえびせん

 手が出る 手が出る

 やめられない とまらない かっぱえびせん

 

 小川よしあき氏も昭和のテレビ史に名を刻む作曲家であり、『岸辺のアルバム』『沿線地図』等のTBS金曜ドラマ枠で音楽を担当したりの実績がございます。

 日高さんのお話では、小川氏は日高さんと同じ日本大学芸術学部出身で、技術コースからNHKの写譜の仕事などをされていたとの事。

 音楽畑の出ではありませんが独学で音楽を身に付けられたようで、件の伊藤アキラ氏との作品も残されています。一時は荒木とよひさ氏と伝書鳩というグループを組んでいた形跡も有ります。

 そして日高さんは、自身で練り上げたコピーへの作曲を、旧知の小川氏に依頼されて、あの我々がよく知るメロディーが出来上がったのでした。

 ♪ やめられない とまらない かっぱえびせん

 

(この稿続く)

「やめられない とまらない」 かっぱえびせん名コピー誕生の知られざる話(1)

昭和CM

「やめられないとまらない」
あの史上に残る名コピーの産みの親は誰なのか

 昭和時代、クリエイティブ・オフィスZというCM・イベント企画会社を経営していらした、日高欽治(ひだか・きんじ)さんという方がいらっしゃいます。

 「昭和のテレビに関してなんでも語る」を標榜しております、拙作ブログ『私的 昭和テレビ大全集』に日高さんがコメントを下さったのは、2016年2月20日の事でした。以後の経緯に関しましては、別サイト『昭和テレビ探偵団』の方で述べております。

 

 日高さんは「やめられないとまらない」という名コピーを作ったのは自分であるという事を、なんとかカルビーに承知して貰いたい一心で、当方のような名も無き辺境のブログまで頼ってこられたのでしょう。

 当初、日高さんは名乗り出ればカルビーはすんなり喜んでくれると考えていたと思います。事実、当初の先方の態度は非常に友好的だったようでした。

 日高さんが所属していた大広(だいこう)が電通の前にCMを請け負っていた事、そして日高さんが担当していた事など、嘘のつきようも無い事で、カルビー側でも関係者を当たる気になれば、もしあからさまな嘘ならすぐに露呈してしまうような事です。

 

 ですが、少しばかりの時を経て、先方の態度は豹変しました。法務部が出張ってきたという話で、大企業であれば当然の話です。

 これに対して日高さんは、大変な労力を割いて陳述書を作成しました。これには、当時のCM演出者の方を始め、大広の同僚、当時から日高さんにその話を聞いていた友人・知人の方々が、誠意を持って誇張の無い表現で、自分なりの知っている話を述べてらっしゃいます。

 

 しかしカルビーは、友人・知人の話を鵜呑みにするわけにはいかないという態度だったようでした。また、非常に多くの人間が「あれを作ったのは私だと言ってきている」とも言ったという事です。

 これから数回にわたり、日高さんに頂いた資料を基にこの件に関して報告して参りますが、ワタクシは現時点で日高さん寄りではあるものの、竹馬の友という訳でもありませんし、より説得力の有るお話が出来る方がいらっしゃるなら、是非お伺いしたいと思います。

sammadaisensei@yahoo.co.jp(当方宛メール)

ご家族、ご友人、どなたでも、知っているお話をお聞かせ下さい。

 

 

 

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